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  • 連載【対決!! 葛飾北斎「富嶽三十六景」vs 歌川広重「東海道五十三次」】第2回「いよいよ日本橋を京へ向け出立、その前に少し日本橋について」

第2回:「いよいよ日本橋を京に向け出立、その前に少し日本橋について」

我々現代人の感覚では東海道は「東京が始点で京都・大阪まで」ですよね。「何言ってんだ、お前。当ったり前だろ!」とお叱りを受けるかも知れませんが、実はこれは家康公が行った歴史的な「大逆転」なのです。まるでN極とS極が逆転した地層が見られる「チバニアン」の様に。日本では律令制以来長い間、東海道の始点は京都でした。ほぼ900年にも亘ります。江戸(東京)が始点になってからはまだ400年ほどです。

家康公は京都中心の「日本の骨格」を江戸中心に変えた天才的な人物だと思います。その家康公が居なければ私と江戸博(江戸東京博物館)の出会いは無かったでしょうし、この「コラム」とのご縁も無かったと思います。

「東海道五十三次:日本橋」保永堂版
「東海道五十三次:日本橋」異版

 

東海道は「お江戸日本橋」を起点に京都の三条大橋までの道のりでした。その間の距離はほぼ500km(百二十四里)、その間には箱根の難所があり、越すに越されぬ大井川が横たわっています。江戸幕府は旅人向けに、或いは辻駕籠の運賃の目安として一里ごとに一里塚を作り、五十三カ所に宿を作りました。これが東海道五十三次で、始点の日本橋から終点の京都三条大橋までの五十三の宿を浮世絵作品としたのが広重の「東海道五十三次」で、五十三の宿と始点・終点を加えた55枚の浮世絵のセットです(連載第1回:広重Q7・Q8)。百二十四里に一里塚を作ったというのは正確ではなく今の愛知県の熱田(神宮)~桑名は「海上七里」と呼ばれる海路でしたので正確には百十七の一里塚ということになります。伊勢湾の奥には木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の広大な河口が広がっていて(現在は伊勢湾岸自動車道がその上を通過しています)一見しただけで「これは馬や人足を利用して輿や肩車で渡河した大井川とは比較にならない!」ことが分かります。

「百十七の一里塚」の内、五つは所在が分からないがその他は全てその所在が分かっている(多くは残っている)のですから日本人は歴史を大事にする国民だと思います。

「富嶽三十六景:凱風快晴(赤富士)

 

青富士(異版)茂木本家美術館所蔵

日本橋は1603年に初代の橋が架橋されました。現在のコンクリート製は19代目で1910年に作られました。ということは300年の間に18回建て替えられたのですが、その内の10回は火事が原因ですのでやはり「火事と喧嘩は江戸の花」ですね。その現在の日本橋の真ん中に日本道路元標「日本の道路距離標示の始点 ゼロキロメートル」があります(連載第1回:広重Q2)。普段は沢山のクルマが往来していますので決して近づかないで下さい。その代わりに見上げると下の写真(中)が見えますのでその真下にあります。この元標にどうしても触れてみたいという好奇心旺盛な方への特別ネタ、4月の「日本橋まつり」と7月の「橋洗い」の二日だけは道路閉鎖されますので触れることが出来ます(今年はいずれも中止されました。)この「橋洗い」を犯人捜しのテーマにした小説が映画化もされた東野圭吾の「麒麟の翼」、麒麟はもちろん日本橋のシンボルのことですね。
 

日本道路元標
日本道路元標
この真下に道路元標があります

逆に、例えば「○○まで何キロ」という表示がありますが、これはどこを指すかというと(例外もあるらしいのですが)○○市役所の道路に面した入り口です(連載第1回:広重Q3)。またJRの距離表示の「ゼロキロメートル」は東京駅になります(広重Q4)。多分皆さんご覧になって忘れられているだけだと思いますが、東京駅のプラットフォームの真ん中辺りに目を凝らすと「0」を探せます、それもプラットフォームごとに幾つもありますので、是非とも東京駅でお探し下さい。
 

JR距離表示「ゼロキロメートル」

江戸幕府は大名行列が日本橋を「七つ」(端折って申し上げると午前4時)より前に出立することを許可しませんでした、江戸の町の治安維持の目的だったかと思います(広重Q1)。江戸の藩屋敷で生れてから一度も国に帰ったことがない大名なども結構いたようで、唄の中の大名行列は東海道を経て初めてお国に行きます(初上り)。高輪(品川)までは二里(≒8キロ)、ほぼ二時間で「明け六つ(午前6時)」に到着、日も出たので手元の提灯の灯を消した、というのが唄の意味、是非ともこの後「お江戸日本橋」の唄を口ずさんでみて
下さい。
 

「二里を二時間で」のスピード感は如何でしょうか?藩の規模によって行列の規模も変わりますが数百人の行列と仮定して、です。そうなんです、あの行列が人の歩行速度と同じ速度で移動したのですね。これは結構早いと思います。旅人も同様に百二十四里の東海道を12・3日で歩きました(連載第1回:広重Q5)。一日にフルマラソンとほぼ同じ距離です。それを二週間も続ける、皆さん、お出来になる自信ございますでしょうか?私は計算するだけでもうギブアップです。

ですので、53の宿に都度宿泊したということではありません。平均すれば10キロに一つの宿があったことになりますが飛ばし飛ばしして宿泊しました。広重「東海道五十三次」35番の「御油」の宿は大変で次の宿の「赤阪」まで1.7キロしかない、そこで先を急ぐ旅人は「頑張って赤阪まで行くか」と思ったのでしょうか、ところが「御油」の宿の女はそうはさせじと旅人の首根っこを掴んで離さない!広重はそれを「旅人留女」と題して作品にしています。弥次さんが捕まりかけて必死で逃げた「東海道中膝栗毛」を参考にしたと言われています。この絵の宿は「旅籠(はたご)」です。旅籠とは食事付きの宿で現在の旅館と同じです。一方、江戸時代には「木賃宿(きちんやど)」という宿がありました。大部屋が提供され旅人は食材を持ち込んで自炊するか料理してもらったそうです。宿泊料はこの薪代相当分になることから、木賃の「木」とはこの「薪」すなわち「木の代金の宿」から木賃宿と呼ばれ、宿場の外縁に位置しました。映画やTVで宿場の場面になりましたら目を凝らしてみて下さい。

広重「東海道五十三次」35番【御油】宿

天才浮世絵師北斎も「東海道五十三次」を書いているのですが、広重の作品の方が人気が高かったようです。一方、北斎は「富嶽三十六景」で大人気を博しますが「三十六景」に「十景」を追加して合計で46枚の浮世絵のセットとなりました(連載第1回:北斎Q1)。この違いは絵の枠取りの色の違いで分かります。「三十六景」の枠取りは藍色で、「十景」の枠取りは黒墨色です。

 衆目の一致するところ、多分と言うか間違いなく、絵の上手さとしては北斎は広重を超えていると思います。構図や色の使い方で広重はヨーロッパの”ジャポニズム”に大きな影響を与えましたが、人物描写や躍動感などを見ると広重は北斎の持つ「完成度」には敵わないと思います。ただ一方広重の描く人たちは「完成度」とは別に市井に暮らす人々への優しい視線があるように思えます(これは、いずれご紹介する予定の昭和の「新版画」の絵師で「昭和の広重」と呼ばれた川瀬巴水の画風に繋がっています。)

 北斎の「富嶽三十六景」と広重の「東海道五十三次」を鑑賞すると大きく違う点が一つあります。北斎の「富嶽三十六景」は関八州を中心とした(富士山が見える筈もない場所からの作品もありますが)作品群で見る順番はどうでも宜しいのですが、広重の「東海道五十三次」の楽しさは起点の日本橋を出立して一枚一枚の絵を追って終点の京都三条大橋に向かっていることを楽しめることにあります。この順番を追っかけていると段々と京都に近づくワクワク感を覚えるのです。きっとこれが江戸の町人に好かれた理由かなと私見しています。江戸時代には三度の「お伊勢参り」大ブームがありました。日本人の一割以上が伊勢を目指した年もあります。きっと広重の「東海道五十三次」を行李に忍ばせて宿場々々で伊勢到着を夢見たのでしょうか。

今回は日本橋を入り口に江戸の旅を垣間見ました。文中でお答えしていないクイズについては文末にまとめましたが、この「連載第2回」のおさらいの意味を含めての新しいクイズです。

三井不動産の商業施設にCOREDO日本橋や室町があります。COREDOは辞書を探しても見つかりません、これは三井さんの造語だからです。三井さんはライバルの三菱さんが丸の内・大手町をアピールするのに対抗しCOREDOという商業施設を立ち上げました。この造語には三井さんのある主張・思いがありますが、それは・・・?

6つの英字を使った造語ですが最初の4字と最後の3字に分けてみて、その間にOFを入れてみて下さい、そうなんです。

ではまた次回でお会いしましょう。
   広小路 俗山人 拝

 

【文中でお答えしていない連載第1回クイズの解答】

広重Q6:(品川について)
 主要街道から江戸に入る四つの宿(江戸四宿:品川・内藤新宿・板橋・千住、いずれも
 日本橋より二里)は江戸の入り口としての重要な機能の他に非公認の遊郭があり、品川
 はその中で最大のものでした。江戸から東海道を下る旅人は品川ではなく戸塚・保土ヶ谷
 まで一日で歩きました。一方、東海道を上って大名行列は品川で江戸城登城の事前に行列
 の組み直しや身繕いをしました。

広重Q9:(広重のロゴ)
 四角の中にあるのは片仮名のヒ、四角は片仮名のロ、そうです「ヒロ」という広重のお遊
 びです。

北斎Q2:(富士山が描かれていない作品)
 34番「諸人登山」です。富士山頂を目指して登山している人々を描いていますので富士
 山の雄姿を描くことはちょっと無理ですね。

葛飾北斎【富嶽三十六景】34番「諸人登山」

北斎Q3:(「逆さ富士」の不思議)
 普通は湖面には上下対称に見えるものですが意図的にだと思いますがずらしています。
 ただ、構図的には却って締まりが増しているように思えます。流石、北斎の構図の醍醐味
 です。

 第1回:
浮世絵で知るお江戸四方山話おもちゃ箱」
 第3回:「旅立ちの前に日本橋の三井越後屋さんでお買い物でもご一緒に」
 第4回:「画狂老人・北斎を見る二つの視点:オマージュと画力」
 第5回:「品川宿は月見と寺社巡りの町」
 第6回:「ちょっと一休み、肩の力を抜いて~江戸の女性~」
 第7回「葛飾応為 天才画狂老人の娘 その”光と影”」
 第8回「江戸のお金の話」
 最終回:『~江戸のお金の話:追加の段~、
      ~浮世絵師広重 北斎との比べ そして傑作「名所江戸百景」』

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