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  • 連載【対決!! 葛飾北斎「富嶽三十六景」VS 歌川広重「東海道五十三次」第6回「ちょっと一休み、肩の力を抜いて~江戸の女性~」

第6回「ちょっと一休み、肩の力を抜いて~江戸の女性~

いきなり大層なタイトルで始まってしまいましたが、この連載も5回を終え読み疲れた方もいらっしゃると思い、第6回は少しライトな内容に致しました。肩を張らずに、構えることなくゆるりとお読み頂ければと思います。

浮世絵の工房を描いた絵です。女性が沢山活躍しています。この絵についてはまた後程。

 

厚生労働省所管の独立行政法人の資料です。日本は専業主婦世帯の方が多いと思っていらっしゃるかも知れませんが20世紀後半には逆転して共働き世帯の方が多くなっています。ある先生曰く、(それ以降の)現代の方が江戸時代の庶民の生活に余程近いとのことでした。そして女性は「三従(生家では父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子に従う)」などと黙ってばかりはいなかったようです。

 江戸の町を見ると、物が溢れている現代とは違い、道端に落ちている釘やちり紙、はては髪の毛まで集めてリユース・リサイクルしたエコな社会であったと言われています。それで日々の生活の営みが可能だった社会なのですね。

 「焼継ぎ屋」という割れた瀬戸物の茶碗などを直してくれる修理屋がいました。江戸の生活を知るには歌舞伎・落語・浮世絵そして川柳がとても参考になりますが、川柳に「焼つぎ屋、夫婦喧嘩の門に立ち」という句があります。

江戸の町は両側の木戸と木戸番により町の安全が保たれていますが木戸は22時には閉ざされ朝の6時に開きます。悪所で遊び過ぎ22時に長屋に帰れなかった亭主はどこかで夜を明かし朝6時に木戸が開いたら長屋の家に戻る。当然そこには怖~い人が待っています。焼継ぎ屋は木戸で見張ってて朝帰りの男の後をつけ、その家の前でじっ~と待つのです。大声の張り合い、「あんた!○△★※□☆彡のよ!!」、投げつけられた瀬戸物が割れる音、頃合いを見計らって焼継ぎ屋は長屋の戸を開け、「焼継ぎ屋でございますがご用がおありのようで」とか。

焼継ぎ屋


 

三行半



 









 

 

江戸時代の女性は想像以上に経済的に自立していたとも言われています。農家などでは養蚕はだいたい女性の仕事、そしてそれは副収入をもたらします。結婚する時には結構な額の持参金を持って来ます。亭主の悪行に我慢に我慢を重ねたがどうにも良くならない、とことん愛想を尽かした女性は離縁を決心し、亭主に離縁状を書いて欲しいと頼みます。いわゆる「三行半」と呼ばれる離縁状(画像上右)ですが「三行と半分」で書かれています。また字が書けない人は縦線を三本半引いても良かったと言われています。「三行半を突き付ける」というと夫から妻への一方的な離縁の突き付けの様な語感を持たれるかも知れませんが、そうではなく、「今回離縁に至った理由・原因は全て自分(=亭主)にあり妻(=女房)のせいではありません」と書き記したうえ押印に女性に渡します。再婚承認状のようなもので、女性はそれを持って(再)婚活をします。と円満解決に至れば大団円、ですが持参金も返さねばならないのでそう簡単に亭主は三行半を書きません、業を煮やした女性は仲裁者に仲裁を依頼します、お寺の住職や神社の神主、お武家様、大店(おおだな)の主人や農村では名主や庄屋、などが介在し円満解決の道を模索します。

この様なことは同時代のヨーロッパなどでもあったらしいのですが、江戸時代の離縁はこの先が凄い、近世の世界で公権が介入して離縁を法的に成立する仕組みを持っていたのは日本だけらしいのです。鎌倉・東慶寺と群馬太田・満徳寺という二つの縁切り寺がその舞台で、いずれも徳川将軍家所縁の名刹です。家康公の孫で、三代家光公の姉の千姫がそれぞれに深く関係しています。千姫自身の大坂の陣で自刃した豊臣秀頼からの縁切りを含めてです。

 
映画「駆け込み女 駆け出し男」
群馬太田:満徳寺(復元)正門










 

女房が縁切り寺に向かったことを知った亭主は
追っかけます。鎌倉の東慶寺ですと日本橋から
約十二里、多摩川が渡れずに悲しくも想いを遂げられないこともあったとか。お寺が見えて来た!すぐそこに迫って来る亭主!逃げ切る為に最後は門前から身に付けている簪や下駄を境内に投げ入れると本人は寺の外だが「駆込んだ」と見做され寺の保護を受けることが出来ます。勿論最初は再度の話し合いによる仲裁がなされますがそれでも亭主が三行半を書かない場合は、女性は入寺しそこで三年を過ごします。勿論男子禁制です。その三年が過ぎますと奉行所(公権)が介入し亭主に三行半を書くように指示します。町人・農民が奉行所の裁きに抵抗すれば行先は牢屋敷となります、牢屋敷で何が待っているかは多くの人の知るところです。

「三年は長い」という声があったからでしょうか、二十五カ月に短縮されました。一応二年は超えている訳です。この二年と言うのがまた意味深いのです。知人の女性いわく、「三年は長い、でも二年なら我慢できるかな?」などと。入寺した女性は別に尼さんになるわけではないので剃髪はしないのですが、今風に言えばボブヘア程度にカットします。これが二年寺で過ごす間に髪は伸びて髪を結うことが出来るくらいになります。髪は女性の命、(再)婚活にはまず身繕いからでしょうか。

 冒頭の浮世絵は「今様見立士農工商:職人」(初代歌川国貞)で、浮世絵の製作工房の姿です。浮世絵は版元のもと、絵師・彫師・摺師のコラボレーションを通して出来上がります。江戸時代の女性は思う以上に自立していたのだと思いますが、この絵の様に浮世絵製作現場への進出も活発だった、と誤解されて説明されることがありますが、こと錦絵の製作現場については結論としては、全て女性という世界ではありませんでした。

ただ、絵師は別です。私が知る限り二例あります。一人は葛飾北斎の娘お栄(応為)と、現代では歌舞伎座などの役者絵看板を手掛ける鳥居清光(鳥居派九代目)です。江戸博の一番人気の一つというかフォトスポットの一押し、中村座の芝居小屋正面の歌舞伎絵はこの女性絵師である鳥居派九代目・清光によるものです。

NHK「眩 北斎の娘」
「吉原格子先之図」(葛飾応為)













 

鳥居派九代目当主 鳥居清光(歌舞伎座前にて)

お栄には改めて登場してもらいますので、そろそろお時間ということで、今回はここまで。ライトにお楽しみ頂けましたでしょうか?

暑さ寒さも彼岸までとか、もう少しの辛抱です。ご自愛下さい。
   広小路 俗山人

 第1回:「浮世絵で知るお江戸四方山話おもちゃ箱」
 第2回:「いよいよ日本橋を京に向け出立、その前に少し日本橋について」
 第3回:「旅立ちの前に日本橋の三井越後屋さんでお買い物でもご一緒に」
 第4回:「画狂老人・北斎を見る二つの視点:オマージュと画力」
 第5回:「品川宿は月見と寺社巡りの町」
 第7回:「葛飾応為 天才画狂老人の娘 その”光と影”」
 第8回:「江戸のお金の話」
 ・・・まだまだこれから続きます!

 

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