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  • 連載企画【対決!! 葛飾北斎「富嶽三十六景」VS 歌川広重「東海道五十三次」】第7回「葛飾応為 天才画狂老人の娘 その”光と影”」

第7回「葛飾応為 天才画狂老人の娘 その”光と影”」

~ 蜘蛛の巣に捕まる赤い蝶と吉原の夜景に浮かぶ提灯に記された想い ~
現存作品10数点の裏に秘められた父と娘の絆

 今回も少し長めになりますが、きっと「一気読み」頂ける流れになっております。くれぐれも途中でお諦めにならず最後までお付き合い頂きお読み下さいますよう、お願い致します。
 

 小林忠(こばやし・ただし、江戸好きの間では「こばちゅう」などと愛称されています)先生は、特に浮世絵を中心とする江戸絵画を専門分野とする美術史学者で学習院大学名誉教授・国際浮世絵学会会長、箱根の岡田美術館の館長、その口調・文体はとても分かり易く、大好きな先生です。この小林先生が江戸の庶民文化を次の様に明解に表現しています。

『(若干私の脚色がありますが)武家の伝統芸能・能楽に対峙して江戸の庶民文化は歌舞伎を生み能楽すらもそこに呑み込みました、そして、徳川幕府の御用絵師・狩野派や土佐派が仕切っていた江戸絵画に浮世絵・錦絵で風穴を開け、その画風すら貪欲に取り込んだのです。』

その小林先生が北斎と広重を更に単純明快にバッサリ!と比喩しています。即ち、「北斎は理科系、広重は文科系、私が申し上げたかったことを一言で表現した「目から鱗」の一言です。
 

 連載6回の最後に北斎の娘・お栄(応為)にちょっとだけ登場してもらいましたが今回は「ディープに追っかけ」してご紹介致します。アメリカの雑誌 「ライフ」が1999年に発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の中で日本人で唯一選ばれた北斎の様な偉大な親を持ったお栄(応為)の「光と影」に迫ります!、とは大袈裟ですが宜しくお付き合い下さい。
 

 名は栄とかお栄、応為は雅号です。応為と呼ばれる背景には二説あり、いつも北斎がお栄のことを「オーイ!」「オーイ!」と呼んでいたのでそのまま画号が「応為」になったという説がある一方、逆にお栄が北斎のことを「オーイ!オーイ!おやじ殿!」と呼んだのでお栄の雅号を「応為」とした説もあります。NHKは「歴史秘話ヒストリア」では後者を紹介しています。因みにその番組は2017年のドラマ「眩(くらら)北斎の娘」(朝井まかて原作、宮崎あおい主演)の放映に先立って企画されました。今回の連載はこの番組で紹介された内容を中心に独自の視点を加筆の上、編集しています。

NHK「眩 北斎の娘」と主演の宮崎あおい


応為の実像は宮崎あおいとはちょっと離れていまして(NHK大河ドラマ「篤姫」の場合もそうでしたが)、絵の代金を代わりに受け取りに行かせる際、北斎は「顎(あご)の四角い女が頂きに参ります」と委任状を書いています。また一度結婚しましたが掃除・料理など家事を全くしないため離縁されています。どんな感じの女性かと言いますと、こんな感じです。





 

北齋仮宅之図一部 (応為)
北斎の部屋(すみだ北斎美術館展示模型)


この画像は北斎のお弟子さんが描いた「北斎仮宅之図」の一部ですが、すみだ北斎美術館ではこの絵の模型を展示しています(下の写真)。















この展示模型、とても良くできていて本物の人間の様です。と、じっと見ていますと一部分が動き出しますのでびっくりします。

 北斎は88年の人生において絵師としての雅号を30回改め、93回転居しました。絵師として70年活躍したとすると平均9カ月に1回転居したことになります。おそらくですが、掃除もしないで(現代で言う)「ゴミ屋敷(ほども広くはないと思いますが)」になったら転居、を繰り返したのでしょうか。その度に後片付けして画材や身の回りのものを引っ越しするお弟子さん達は大変だったでしょうね。想像すると破顔してしまいます。

この様な狭い部屋から天才画狂老人が世界で最も有名な日本の絵画「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」が生れ、そしてその娘の応為は「江戸のレンブラント」と呼ばれた陰翳に富んだ優れた作品を残したことは驚きです、もしかして絵画の世界の奇跡かも知れません。そんな父娘を包容した江戸の世界に喝采です。

「富嶽三十六景:神奈川沖浪裏」


余談ですが、「神奈川沖浪裏」は英語では「ツナミ」と呼ばれていましたが、東日本大震災以降は「グレート・ウェイブ」と呼んで言います。とても嬉しい心遣いです。江戸博で展示ガイドをしていますと、欧米の方の8・9割の方はこの絵をご存知です。




応為の作品は10数点しか現存しないと申し上げましたが、そうではない、という見方があります。それは素人の眼には見えない、美術に携わっている学者や修復技術者にしか判別できない微妙な、ただ明確な差のある世界です。

葛飾北斎「菊図」


 


北斎の「菊図」の一部ですが、左上に「卍筆」とありますが、これが北斎の落款です。この落款、誰が押したのでしょうか?北斎自身でしょうか?

専門家は二点を指摘します。一つは使う色です。北斎の色は基本的に「藍」「青」ですが、この絵の基調は「赤」です。後程でもご説明しますが、応為の基調は「赤」です。NHKの番組では「おんなは赤で輝く」とキャッチしていました。もう一つは右上から左下に差す日差し(陽光)です。江戸時代の絵師で「光り輝く」絵を描いたのは応為だけではないかとも言われています。

北斎の「藍」「青」は「富嶽三十六景」全点をサッと流してご覧頂くと一目瞭然です。








 

葛飾北斎「富嶽三十六景 甲州石班澤」



この「藍」「青」は「ベロ藍」あるいは「プルシャンブルー」と呼ばれるヨーロッパのドイツ(当時はプロシア)から輸入された顔料です。「ベロ藍」とは「ベルリンから来た藍」、「プルシャンブルー」は「プロシアの青(藍)」という意味です。

浮世絵師で「ベロ藍」を初めて使ったのは北斎というのが定説でしたが、最近では一年前既に渓斎英泉が使っていたことが確認されています。例えばこんな感じです。

渓斎英泉(けいさい えいせん)「仮宅の遊女」

ただし肉筆画の世界ですと伊藤若冲があの(個人的には江戸絵画の最高峰だと思っている)「動植綵絵」の「群魚図」の左下隅っこに泳ぐ藍色の魚で初めてベロ藍を使用しています。江戸で錦絵が考案された1760年代半ばの作品です。GoogleでもYahooでも「群魚図 画像」ですぐに検索できます。

歌川広重「東海道五十三次 鳴海」



広重もこの絵の様に構図の上部にベロ藍を使いました。「一文字ぼかし」と言って絵を引き締めます。広重の後の揃物の傑作「名所江戸百景」では更に多用しました。これに感銘を受けたのかヨーロッパではこの藍を「広重ブルー」と呼んで絶賛しました。逆輸入の様で面白いですね。

 寄り道をしてしまいましたが、専門家の分析ではこの「菊図」の製作者は応為ではないかとのことです。ただ、当時名前も知られていない応為の落款を押したら絵の価値は上がらないどころか下がるだけ、版元に頼まれて・・・、というシナリオは無きにしも非ずです。そう考えると「現存作品10数点」という表現に?がつきます。本当はもっと多かったのではなかったのでは、という歴史のミステリー、秘話の世界です。
 

 そんな視点で北斎の特に肉筆画を鑑賞するのも楽しいと思います。そこで応為の描いた作品の特徴を更に幾つかご案内致します。

  応為の作品を「色」と「光」という視点で見ましたが、「線」については北斎の豪快な線に対して応為の女性絵師らしいたおやかで柔らかい線は対照的で、二人の絵師の肉筆画を特殊効果を使用し「色」の部分を取り除くと一目瞭然です。

応為の最も「刺激的な」特徴は、先ほどご説明した日差し(陽光)に加え魅惑的・幻惑的という表現を超えて「蠱惑(こわく)的」とでも言う様な「陰翳」の世界です。これが「江戸のレンブラント」と呼ばれる理由です。この世界は北斎にはありません。二点ご紹介します。最初は連載6回の最後に掲載した「吉原格子先之図」です。レンブラントの「夜警」と並べてみました。

葛飾応為「吉原格子先之図」


 

レンブラント「夜警」














 上の作品は表参道にある太田浮世絵記念美術館の所蔵品で2014年に『葛飾応為「吉原格子先之図」-光と影の美』と題した企画展が開催されました。この時美術館はこの「吉原格子先之図」をクリアファイルにして販売しました。勿論購入し額に入れて拙宅のリビングに飾って楽しんでいます。後日追加で購入しようと思って連絡しましたら早い内に完売したそうです。

  太田浮世絵記念美術館はそれほど大きな美術館ではありませんが静かにゆっくりと見るのには最適の美術館です。個人的には表参道に溢れる若者達の喧騒からワープした様な静謐とした館内、そして鑑賞後外に出るとまたその喧騒に包まれる、このギャップが被虐的に好きです(笑)。

もう一点の作品は「夜桜美人図」(メナード美術館蔵)です。もう、これ以上のご説明は不要かと思います。

葛飾応為「夜桜美人図」



 







次のチェックポイントは「赤い襦袢(下着)」でしょうか?当時は天保の改革の頃で華美な服装は御禁制、女性の着物も青や茶色、ねずみ色の地味なものでした。そんな時代の中でも女性は美しく着飾りたい気持ちがあって当然、そこで当時の女性は下駄の鼻緒を綺麗に飾ったりしたものです。

  

葛飾応為「月下砧打美人図」




























































応為の「月下砧打美人図」(東京国立博物館蔵)をよく観ますと、左右の腕に赤い襦袢(下着)がチラッと見えます。女性絵師ならではでの意匠・色使いだと思います。
(上野の東京国立博物館本館10号室で2020/915~10/11まで展示されています。上右はその展示会場で撮影したものです。)






 
 応為は天才画狂老人の娘として或る時はその「ゴーストライター」として筆を取ったのかも知れませんがその身の置き方に納得していたのでしょうか?勿論誰にも答えはないのだと思うのですが、応為の作品の二点に揺れ動いた応為の心情を窺い知ることが出来ます。

葛飾応為「三曲合奏図」





















 

上の画像の○印、拡大部分

上は、応為の「三曲合奏図」です。左側の胡弓を弾く女性に先ほどご説明した赤い襦袢が見えます。真ん中の女性のめくれたすその部分には蜘蛛の巣に捕まった赤い蝶が見えます(左の部分拡大画像)。
 蜘蛛の巣は何を、捕まった赤い蝶は何を、象徴しているのでしょうか?応為は蜘蛛の巣に父親を、そして赤い蝶に自分を比喩しているのかも知れません。




先ほどご紹介した応為晩年の作品「吉原格子先之図」には明るく輝く提灯が三つ描かれています。実はこの提灯の一つ一つに「栄」・「応」・「為」と書かれています。

天才画狂老人の娘・応為は北斎という偉大な画家のゴーストライターとして「蜘蛛の巣に捕まった赤い蝶」を甘んじて受け入れるとともに、せめてもの自己主張をこの吉原の提灯に託したのかも知れません。

葛飾北斎「天界」



老境に入り、北斎と応為は長野小布施の豪商の高井鴻山の援助で小布施に向かいます、200キロを超える長旅です。北斎は小布施で北斎唯一の立体絵画と言われる上町(かんまち)祭屋台天井絵を描いています、「神奈川沖浪」を彷彿させる森羅万象を描いた力作です。







小布施の「若松院」には天井絵「八方睨み鳳凰図」があります。北斎の描いた下絵が残されていますが、実際描かれた作品としての「八方睨み鳳凰図」は4400枚もの金箔を使用した光溢れる世界で、これは応為の世界だとも言われています。

構想段階の下絵(北斎)
葛飾北斎「八方睨み鳳凰図」








 

古い時代の絵を観る時に重要なのは、どの様な環境で、特に照明下で、その作品が観られたかを想像することにあります。現代の様な不夜城と違い、夜は暗く満月の明かりも部屋の中には届きません。きっと手燭に立てたロウソクで観たことでしょう。漆黒の闇の中で忽然と現れる輝く金色の世界が観る人にいかに厳かで神々しく映ったか、どれだけの驚きと感動を届けたかと想像してみて下さい。

小布施から江戸に戻り北斎はその人生を終えます、そして応為の行方は知られていません。今回の連載のタイトル「光と影」の持つ二つの意味に辿り着いて頂けましたでしょうか?
  そうです、北斎を「光」とすれば応為はその「影」、そして応為の画風で天才画狂老人を超えたのはその筆の特徴としての「光と影」だったと言えると思います。

  最後に北斎・応為の合作と言われている「唐獅子図」(ボストン美術館蔵)をご覧下さい。もうどの部分が北斎で、どの部分が応為かお分かり頂けると思います。

葛飾北斎・応為合作「唐獅子図」

この連載をお届けする10月は神無月、出雲大社に日本中の神様が皆な集結してしまうのでちょっと寂しいですね。出雲大社のある出雲国(島根県)でも神無月と呼ぶのでしょうか?そうしますと日本に神様がどなたもいないことになってしまいます。島根県では10月を神在月と呼んでいるのですね。
 秋晴れの日が続いていることと思いますが、急に冷えることもあろうかと。くれぐれもお大事に。

 今回も長編になってしまいお詫び申し上げます、ご理解を頂くのにお疲れになったかろうかと思います。次回(第8回)はまた連載6回の様に軽くライトに江戸の生活などについてお話したいと思います。食欲の秋、お腹も減りますし、題して、「みたらし団子はなぜ4粒?銭形平次の投げる銭の穴は何故四角?スペースがあれば現代の硬貨の穴は何故丸い?」、物事には全てその「背景」があるのです、というお話を、と思っています。





 








 広小路 俗山人 拝
 第1回:「浮世絵で知るお江戸四方山話おもちゃ箱」
 第2回:「いよいよ日本橋を京に向け出立、その前に少し日本橋について」
 第3回:「旅立ちの前に日本橋の三井越後屋さんでお買い物でもご一緒に」
 第4回:「画狂老人・北斎を見る二つの視点:オマージュと画力」
 第5回:「品川宿は月見と寺社巡りの町」
 第6回:「ちょっと一休み、肩の力を抜いて~江戸の女性~」
 第8回:「江戸のお金の話」
 最終回:「~江戸のお金のお話し:追加の段、
        ~浮世絵師広重 北斎との比べ そして傑作「名所江戸百景」へ~ 」
 

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